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● 台風の最中に家路を急ぐ
台風23号。この台風は日本全国に多大な被害をもたらした台風として、自分の記憶の中に留まることになった。2004年に上陸した台風は10個。その最後の台風が10月20日に高知県に上陸して、そのまま日本列島を縦断するルートを通った。
私自身もこの台風が直撃している最中、家路を急いでいた。その時間は午後6時半ごろ。その時が愛知県に一番最接近していた時間帯だった。川が増水していて、今にも溢れそうな光景を横目にしながら、堤防の道沿いを車で走っていた。
ちょっとハンドルを切れば、あっという間に川の中に飲み込まれるような、とても不思議な感覚になっていた。
「ここは慎重に運転して、家に帰らなければ」
無事に到着する事を願い、緊張しながら、運転をしていた。実は、以前に発生した東海集中豪雨の時、決壊した事がある堤防の上を走っていたからだ。先ほどの光景を見ながら、家に着いた時は安堵した。そして、つかの間の休息を取った。あの連絡が来るまでは・・・。
● 夜が明けたら、りんごの樹が消えていた
翌日、朝早くに電話が鳴った。それは長野県に住む、りんごの農家さんからだった。
「りんごの樹が水没した」
最初は訳が分からなかった。りんごの樹が埋もれるなんて、ある意味馬鹿げている話しだと思った。
りんごの樹は成木で約5m以上もあり、とても大きい。それが水没するなんて、考えられなかったのだ。そこに1通のメールが私のもとに舞い込んだ。
ありえない光景だった。
見たことがある場所から撮影した写真には、溢れんばかりの川の水が映し出されていた。
この写真は台風が直撃した翌朝に堤防の上から撮影したものだった。
写真を見て、すべてを理解した。川底にあるりんご畑の存在を。
● 千曲川で栽培するということ
長野県にある千曲川というところはとても面白い。川と言いながら、実はそこにはリンゴの畑がある。昔から良いものが栽培されると評判の地域だ。
りんご畑がある場所は、度重なる氾濫によって、形成されてきた『自然堤防』と呼ばれるわずかな高地。それを利用して栽培をしている。通常、千曲川の水位は低く、川底を眺めてみると、見渡す限り畑といった具合で、川という表現が妥当かどうかを、見るたびに思う。
しかし、そこはれっきとした川。その事をこの台風23号は十二分に思い知らせてくれたのだ。
水は高いところから、低いところへ移動する。いくら水がない川といっても、台風のような大雨をもたらせば、一気に雨水が流れ込む。その結果があの写真なのだ。
昔は台風が来るたびに川が氾濫したり、畑が被害に遭っていたりしていた。そのたびに人は復活した。長い間、その繰り返しをしていた。
「昔から川は氾濫するもの。だからこそ、ここで良いりんごが出来るんだ。川上から肥沃な土を持ってきてくれるから、最高の畑さ。」
数年前に聞いた話だ。そのときは、氾濫するなんて、考えてもいなかったから、目の前に出来た最高の仕上がりのりんごを見ながら、笑いながら話をしていた。
● 水没したりんごの樹
メールを頂いた日の昼頃になって、また1通のメールが届いた。たくさんの写真と共に、刻一刻と変化していく状況が言葉ではなく、写真で伝えてくれたのだ。
一面が水の世界になっていた。
時間が経過するにつれて、水位が下がり、少しずつりんごの樹が現れてきたのだ。葉や枝には泥がついて灰色になり、見るも無残な姿を見せてくれた。川の水位が下がったのはいいが、その写真の中に写っている中に、りんごが水面に浮かんでいた。
枝から落ちたりんごがプカプカと水面を漂っている。
そんな光景を写真に収める心境はいかほどのものだろう。目の前に自分が手塩に育てたりんごがあり、全く手が出せないでいる。じっと見つめる先に何を見ているのだろう。色んな思いを考えたが、私ではわからなかった。
私はそこに広がっている光景が絶望という事をまだ知る由もなかった。あの話を聞くまでは・・・。
● 絶望の始まり
「少しずつ水が引き始めた。」
そんな連絡をもらい、ちょっとだけ安堵した。長期間も水没するるわけでなく、台風が遠ざかるにつれて、どんどん水位が下がっていく。それだったら、何とか持ち直すと考えたからだ。
以前にお伝えしたテレビでは報道されなかった台風の傷跡で聞いた話しだが、「48時間以上水に根が浸かってしまうと軟弱野菜の苗はダメになってしまう」という。それ以内であれば、何とか生き残っていると言われていたので、同じ植物と見れば、早々に回復する見込みではないかと思っていた。
しかし、それ自体の考えが全く間違っていた事を翌日の連絡で知らされたのだった。
● りんごの樹が悲鳴を上げる
「あなたはりんごの樹の悲鳴を聞いたことがありますか?」
そんな問いに対して、どんな回答が出来るだろうか?りんごの悲鳴などと言われて、すぐに答えを出せる人はまずいない。私もこの問いをぶつけられて、答えることが出来なかった。
りんごの樹の悲鳴。それは絶望の始まりだった。
りんごの樹は通常突っ張り棒で枝を支えている。これはたわわに実ったりんごの重みに枝が耐えられるように補助をする目的で下支えをしているもの。これが無ければ、りんごが実る毎に枝が折れてしまう。りんごの樹を育てていく中でとても大切なものであり、ある意味命を繋ぐ棒でもある。
それが今回の増水でその棒が外れてしまったのだ。
すると、水位が下がるにつれて、あちらこちらから悲鳴が聞こえてきた。
ミシッ、ミシッ、バキッ!
りんごの樹が悲鳴を上げながら、枝を折られていく。
だだ黙って、その声を聞くしかない。
但し、その声はあまりにも切なく、人の心を突き刺す声だった。
● 水が去った後に残ったもの
「水がようやく引いた。」
数日後、連絡を受けて、やっとこれから先の話が出来ると思った。どれだけ水に浸かっていても、リンゴほどの固さがあれば、問題がないと思っていたからだ。
その希望も粉々に打ち砕く話しが続いた。
「畑がまるで田んぼのようになってしまって、入るに入れない。」
それまで経験したことが無いような水は畑の土さえも一変させた。
畑に入れば、足が取られて、前に進もうにも進めない。せっかく水が引いても全く手が出せない。
「畑が固くなるまでもう少し時間がかかるよ」
気持ちはすぐにでも作業したいはず。それなのにそれを受け入れてはくれない。自然の猛威を改めて知らせたのだ。
「なるようにしかならない」
その言葉が示すように、ここまで来ると人間で出来ることは本当にわずかになってしまう。堤防の上から自分のりんごの樹を眺めながら、何も手が出せないでいる自分の無力さというものを痛切に感じる瞬間でもあるのだ。
私も同様にその事実を聞くことしか、自分が出来ることはなかった。
「人って本当に無力だ」と私は心の中で言い続けた。何をすればいいのか、全く分からない。ただ聞いている自分の存在は何だろう。そんな事を自問自答しているときに、また次のりんごの樹の悲鳴を聞くことになった。
● りんごの実の命
「りんごが腐り始め出した」
最初に言われて、その意味が私の中で理解することが出来なかった。すぐに写真を送ってもらった。言葉でもらうより、写真の方が鮮明のその事実を伝えるからだ。
その写真を見て、唖然とした。
台風の豪雨はりんごの命さえも奪っていたのだ。
● りんごの匂いが畑中に
少しずつ腐り始めていくりんごに心を痛めていた。河が増水することで水には色んなものが含まれるようになる。りんごの枝の支え棒からゴミ、石など水に色んなものが混じる。その中にりんごがあれば、リンゴの実に直撃するのは免れない。
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河の増水によって、台風の強風から生き残ったりんごにキズを付けてしまったのだ。
りんごの匂いが畑中に充満している。それは死に行く時に、最後の花を咲かせるようなそんな感じだという。ここに自分が居たんだという証拠を残しながら、匂いを出しているようにも思う。
りんごの実の最後の自己主張でもあり、そうやってりんごの実が命を終えていくのだ。
● 最後通告
台風が直撃して1週間後の10月28日に地域の農協から一枚のFAXが各家庭に送信された。
このFAXは誰もが見たくないものだった。いや、予想をしていたことかもしれないが、受け取った誰一人として、その事実を受け入れたくないものだった。
「水没りんごの取り扱い中止について」
その話を聞いたとき、自然と涙がこぼれた。
水没したりんごは色んな意味で食することが出来ない。大腸菌などによって生で食べることも出来ない可能性もあり、たとえ加熱処理をしても責任が持てないという。熟慮を重ねた結果の苦渋の決断だった。
地域の人たちは誰一人として反対をすることが出来ない。もし、そのりんごを食べて、名産地の信用を落とそうものなら、今後の販売に影響を与えかねないからだ。
結果、水没りんごの処理方法は「廃棄処分」に決まった。
● 廃棄処分の意味
りんごを育てていて一番幸せを感じるときはいつかと聞いたことがある。その人は迷わずに答えた。
「りんごを収穫するときさ」
一年を通じて仕事をする農業。 どんな農業にも言えることだが、その仕上がりを見極めて、収穫する瞬間は喜びに満ち溢れている。
りんごも同様のはずだった。
しかし、水没したりんごは廃棄処分することが決定した。だが、樹に生っているりんごをそのままにしておくことは出来ない。つまり、すべての実を収穫しなければならないのだ。
そのすべてが廃棄処分になることをわかっていながら・・・。
どんな思いでりんごを収穫するのだろう。考えただけでも胸が締め付けられる。
自分が作り上げたものをすべて捨てる。どんなに頑張っても、そのもの自体が食べられないと言われてしまえば、どうしようもない。
「廃棄処分」という事実を知らされた時に、私の目に涙が浮かんだのは、この事がすぐに頭の中で鮮明に描き出されたから。
作り手の思いを感じずにはいられない出来事だった。
● 明日へ向かって
それからしばらくして、また連絡が入った。そこには一枚の写真が添付されていた。
そして、次の言葉が添えてあった。
「確かに廃棄処分にはなった。しかし、来年はとても良いりんごが出来る。」
りんごの実を廃棄処分をする前に、汚れたりんごの樹を洗浄している写真だった。
汚れた樹を綺麗に洗って、次作に備える準備をしている姿。少しでもよい状態に戻すために必死に作業をしていた。
あれだけのことがあったのに、その顔には悲壮感を感じさせるものはなかった。
すぐに電話をかけて、話をした。
「来年は肥料を一切必要としないと思う。河上から肥沃な土を持ってきてくれたから。多分、人生の中で最高のりんごが出来ると思う。」
電話越しの声には希望が溢れていた。どんなことがあっても立ち上がる。そんな姿を見せられると多少失敗をして落ち込んでいたとしても、私自身も頑張らずにはいられない。
あの人が立ち上がるように、自分も立ち上がれるような人になりたいと思う。
2005年の秋に収穫されるりんごはどんな味がするのだろう。今からその出来がとても楽しみだ。
秋にはその収穫を体験しようと思っている。そのときはしっかりとその出来を味わいながら、幸福な時間を過ごしたい。
踏まれても立ち上がること。あなたなら出来るだろうか?
それが絶望の中であったとしても。
2004年の台風は多くの農家が同様の被害を受けた。中には農業を辞める人が出たほど。悲しいが、それが現実でもある。その中で必死に復活を目指す人がいることを是非覚えていて欲しい。
こんな年は何十年に1回のことかもしれない。
だからこそ、あなたに伝えたかった。
都会の人でこの事実を知っている人はほとんどいないだろうから、
しっかりと心に刻んで欲しい。
それがこのりんごを作っている人たち、
いや農業に携わっているすべての人の願いなのだから。
(完)
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